【大阪の離婚弁護士が教える】面会交流・親子交流は誰の権利か?

1.はじめに

以前の記事で説明したとおり、「面会交流」という用語は今後「親子交流」に変わると考えられますが、今回の記事では現状の実務で用いられている「面会交流」で統一して解説していくこととします。

さて、今回のテーマは「面会交流の権利性」です。

別居親が「自分には面会交流を求める権利があって、妻(夫)には面会交流に応じる義務がある」という考えを持っていることがあります。

このような考えの背景には、「面会交流請求権」というような権利があって、それが別居親の権利であるという認識があるようです。

確かに、面会交流を求めるのは別居親ですから、別居親に面会交流を求める権利があるというのは一般的な感覚にはなじみやすい発想といえます。

しかし、実際は、以下に示すとおり、面会交流の権利性に関する議論はそれほど単純なものではありません。

2.面会交流の権利性に関する諸学説

そもそも、面会交流については、それが権利なのか、権利だとして誰のどのような権利なのかなどの議論があります。

この点に関する主な学説として、次のような見解があります(以下の①~⑧については、棚村政行「離婚と父母による面接交渉」判例タイムズ952号(1997年)58-59頁の分類に基づきます。⑨は、二宮周平「面接交渉の義務性-別居・離婚後の親子・家族の交流の保障-」立命館法学298号(2004年)337頁)。

① 自然権説

  面会交流は、監護する機会を与えられない親としての最低限度の要求であって、親子という身分関係から当然に認められる自然権であると捉える見解。

② 監護関連権説

  別居親の面会交流は、監護そのものではないが、民法766条1項にいう「その他監護に必要な事項」に含まれることから、監護に関連する権利と捉える見解。

③ 親権・監護権の一権能とする説

  面会交流は、共同監護そのものの変質であり、そこから派生する監護の一態様であることから、親権の一権能であり監護権の一部と捉える見解。

④ 自然権・監護関連権説

  面会交流は、本質的には親に与えられた固有の権利=自然権であるが、その具体的内容は監護に関連する権利として、協議、調停、審判により形成されるとする見解(①と②を融合させた見解)。

⑤ 基本権説

  面会交流権の大前提として、親には子どもを育てる憲法上の保護された権利があることから、面会交流は親の憲法上の基本的権利であると捉える見解。

⑥ 子どもの権利説

  親との交流を通して精神的に成長発達することは子どもの権利であることから、面会交流は子どもの権利であると捉える見解。

⑦ 親の権利であるとともに、子どもの権利であるとする説

  子どもの監護養育は、子どもを社会化する親の役割であり、親の家庭教育を行う権利義務と子どもの家庭教育を受ける権利義務の相互作用の一環として位置づけられることから、面会交流は親の権利であるとともに、子どもの権利でもあると捉える見解。

⑧ 権利性否定説

  親が子どもに会いたいという心情は尊重に値するが、それは事実上の関係として当事者の協議に委ねるべきであり、法的権利として強制されるべきではないとして、面会交流の権利性そのものを否定する見解。

⑨ 面会交流の義務性を強調する説

  子どもの権利条約9条3項は、子どもの立場から父母との交流を子の基本的な権利として定めていることから、面会交流は、このような子どもの権利に対応して、別居親には子どもと交流する義務があり、また面会交流を子どもの監護教育義務の一内容として位置づけることから、同居親には子と別居親との交流を保障する義務があると考える見解。

3.実務はどう考えているのか

学説の状況は上記のとおりですが、面会交流の権利性に関して実務はどのように考えているのでしょうか。

ここで、裁判所の考え方をうかがい知るべく、最高裁判所判例解説を紐解いてみると、「面接交渉を求める親の心情が情理に沿うものである一面は否定できないとしても、面接交渉の可否や方法については、親の要望よりも子の福祉を第一に考えるのが相当であると考えられ、また、それが実務の主流でもある。そうすると、(中略)面接交渉の内容は監護者の監護教育内容と調和する方法と形式において決定されるべきものであり、面接交渉権といわれているものは、面接交渉を求める請求権ではなく、子の監護のために適正な措置を求める権利であるというのが相当である。」と説明されています(杉原則彦「判批」最高裁判所判例解説民事編平12年度(下)515‐516頁)。

この適正な措置を求める権利とは、手続的審判申立権であって、実体的請求権ではないと説明されています(島津一郎=阿部徹編『新版 注釈民法(22)親族(2)離婚』142頁)。

そして、上記最高裁判例解説から20年以上経った現在の実務においても、面会交流は、父又は母が他方に対して、面会交流をさせるように求めることのできる権利ではなく、子どもの監護養育のために適正な措置を求める権利であると解されています。

また、民法の条文に目を向けてみると、平成23年に民法が改正された際に、「父又は母と子との面会及びその他の交流」という文言が初めて登場することになりました。

この改正民法の立案担当者は、「面会交流については、それが権利として認められるのか、認められるとして親の権利か子の権利か、その法的性質はどのようなものかなどについて、なお議論が分かれています。そこで、改正法では、子の監護について必要な事項の例示として面会交流を明記するにとどめることとしました。」と説明しています(飛澤知行編著『一問一答平成23年民法等改正 児童虐待防止に向けた親権制度の見直し』商事法務12頁)。

そのため、平成23年の民法改正時においても、条文によって権利性に関する議論に決着をつけるような書きぶりは取られなかったことがうかがえます。

なお、令和元年にも民法は改正されていますが(令和元年法律34号)、上記文言に変更はありません。

さらに、近年では、面会交流の権利行使の機会を確保するための立法措置が行われていないことが憲法違反であるとして国家賠償訴訟が提起された例があります。

この裁判では、判決において「そもそも、面会交流の法的性質や権利性自体について議論があり、別居親が面会交流の権利を有していることが明らかであるとは認められないから、控訴人らの主張する別居親の面会交流権が憲法上の権利として保障されているとはいえない。」ということが明示されています(東京高判令2・8・13判時2485・27)。

以上のとおり、実務においては、何らの合意も審判・決定もない段階で、別居親が同居親に対して、面会交流を求める権利を有しているとまでは言い難いことがわかります(すでに面会交流に関する合意や審判・決定がある場合はこの限りではありません)。

4.面会交流の権利性を論じる実益があるか

上記のとおり、面会交流の権利性については、多種多様な見解がありますが、現在では、民法766条1項に面会交流に関することが規定されるようになったこともあり、実務上は、面会交流の権利性について言及する必要性はほとんどなくなったといわれています。

事実、面会交流事件において、面会交流の権利性について主張書面で論ずるなどということは通常はないと思われます。

仮に面会交流が誰のどのような権利であるかということが決まったからといって、個別具体的な事件において、面会交流を実施するべきかどうかや具体的な面会交流の内容や方法が論理必然的に決定されるということはありません。

そのため、基本的には個々の面会交流事件において権利性を議論する実益はないと考えられます。

とはいえ、法律相談などの場面においては、「面会交流は誰の権利なんですか?」とか「私には面会交流を求める権利がありますよね?」といった素朴な質問をぶつけられることがあります。

そのため、弁護士にとって、面会交流の権利性について、主張書面等の中で論ずる実益はなくとも、その知識を有しておく実益はあると思われます。

そこで、今回は面会交流に関する議論等を比較的詳細に紹介した次第です。