【大阪の離婚弁護士が教える】婚姻を継続し難い重大な事由とは何か?~配偶者の宗教活動~
配偶者の宗教活動を理由として、離婚を考えるという方がおられますが、宗教活動は、婚姻を継続し難い重大な事由の一事情となり得るのでしょうか。
ここでは、この点が問題となった裁判例を二つ紹介してみたいと思います。
まずは離婚を認めなかった裁判例です。
【東京地裁平成17年4月27日判決】
(1)ア 前認定のとおり、原、被告間で今回の紛争が生じるに至った縁由は、主として被告が●●の信仰を継続している点にあるといえるところ、信仰の自由は本来個人の自由であるべき事柄であり、夫婦といえどもこれをみだりに侵害、妨害することは許されるものではない。もっとも、夫婦間においては、夫婦共同生活を営む以上、相互に相手の価値観や考え方を尊重し、自己の行動の節度を守り、協力しながら家族間の精神的融和を図りながら夫婦関係を円満に保つよう努力すべき義務があるというべきであるから、その限度で信仰や宗教活動にも一定の自重が求められるというべきであって、夫婦の一方が自己の信仰の自由の実現を過度に相手方に強いたり、宗教活動に傾倒するなどして家庭内の不和を招き、あるいは相手方の心情を著しく無視するような対応をとった結果、夫婦関係が悪化し、婚姻関係を継続し難い状態に至ったような場合には、それをもって離婚原因を構成するものと解するのが相当である。
イ そこで、これを本件についてみると、上記1(1)認定のとおり、被告は、●●の教義を信仰しているものであるが、その信仰生活は、本尊を掲げるため、さほど大きいものでもない厨子を自宅に据え置き、題目を唱え、あるいは、自宅近隣の学会員の居宅で昼間に催される会合や唱題会に、月に1回から3回程度参加するといった程度であって、その宗教観や宗教活動の必要を理由に家庭生活を顧みないとか、多額の資金を費消していたといった事情は見受けられない。また、被告は、長女、長男を●●の会合に同道することがあったものの、特段、長女らに●●への入信を強いる意図もなかったことが認められる(被告本人調書20頁)。他方、上記1(1)認定のとおり、被告が●●の信仰を復活させたのは直接的には家庭生活における心労や原告との間の口論、あるいは原告から暴力を振るわれたこと等が縁由となったものと認められるのに対し、原告は、被告が学会員であることを認識して以後、被告に対し、しばしば信仰の放棄か離婚の二者択一を迫ったりしていたことが窺われるのであって(乙第13号証、原告本人)、原告の上記対応は、●●に対する生理的な嫌悪の情に基づくものであるとしても、いささか一方的で配慮を欠くものと言わなければならず、原告において、被告の信仰について、いま少しの寛容さと理解を示してさえいれば、本件訴訟に至るほどの家庭不和に至ることもなかったとも考えられる。
もとより、学会への信仰を絶ちがたいものと考えている被告に対して、原告は、●●を嫌悪し、被告が信仰を維持する限り被告との関係修復は考えられず、共同生活を継続していくに必要な愛情も失われたなどと述べるなど(原告本人調書16頁)、被告との婚姻関係継続の意欲をほとんど失っているとみられることなどに照らせば、原、被告間の婚姻関係を修復することは、必ずしも容易でないといわざるを得ない。
しかしながら、原告と被告は、婚姻から10年を超える期間、夫婦としての生活を継続してきたものであり、その間、まがりなりにも2子をもうけ、様々な苦労をともにし、これを克服しながら夫婦生活を営んできたことが窺われるのであって、その意味において、原告と被告との夫婦関係の絆は決して弱いものであるとは解されない。また、原告と被告は、婚姻前から同居を継続しており、現時点に至るまで別居したことはないというのである(この点、原告は、被告とは家庭内別居の状態であるなどと供述するが、そのことをもって別居と評価することはできない。)。さらに、原、被告間では、これまで宗教観や相手方が自己に対してどのような不満を抱いているのかといった事項について、話し合いを通じて相互に理解、解決していこうとする機会を十分に持ってきたとまでは解し得ず、換言すれば、原、被告間には、依然として相互に相手方への理解を深め、その信頼関係を回復し、愛情を醸成させる余地が残っているものと解される。そして、被告は、自身と子らのために原告との関係の修復を願い、これまでの自分の非を正すとともに、原告の指示のとおりにやり直していきたいと述べるなど(乙第8号証、被告本人)、原告との関係修復に積極的な姿勢を示している。また、未だ幼少の2子の今後の養育についてみても、原告、被告双方の援助と協力が不可欠であることはいうまでもないところである。そして、原告と被告が、互いにこれまでの自らの行動、態度の是非について顧み、家庭生活をやり直す努力をするというのであれば、今後の婚姻関係の修復の妨げになる特段の事情は見当たらない。
ウ 以上の検討によれば、現時点において、原、被告間において、円満な婚姻関係の回復を期待することは不可能とはいえず、それゆえ、両者間の婚姻関係が既に破綻しているとまでは認められないから、原、被告間に民法770条1項5号所定の離婚事由があるといえない。
続いて、離婚を認めた裁判例を紹介します。
【東京高裁平成2年4月25日判決】
そこで、以上に認定の事実関係に基づき、控訴人と被控訴人との間の婚姻関係が破綻しているか否かについて判断する。
前記認定の事実によれば、控訴人は、被控訴人が「○○」に入信していることを知った後は、被控訴人及びその宗教活動を強く嫌悪し、被控訴人に対し宗教活動を止めるよう説得したが、これが受け入れられないばかりか、子供たちまでも宗教活動に参加するようになり、被控訴人に同調する立場をとるに至ったこともあって、家庭内でますます孤立し、その結果、飲酒にふけったり、落書きや器物破損に及んだりした上、遂には自ら家を出て別居するに至っている。これに対し、被控訴人は、宗教活動に参加することによって家族の夕食を作る等の家事までないがしろにすることはなかったものの、控訴人が被控訴人及びその宗教活動を嫌悪していることについては、単に控訴人が「○○」を正しく理解しないためであるとして、逆に入信を勧めることはあっても、控訴人の気持ちを思いやって宗教活動を自粛する等の努力をすることはせず、むしろ、控訴人の反対を押し切って子供らをも積極的に宗教活動に参加させており、そのことが、控訴人の気持ちをますます被控訴人や家庭から離れさせる結果を招いている。
しかも、控訴人は、前記認定の経過に基づき、自らの意思によって既に長期間別居しており、今後被控訴人が宗教活動を止めても再び夫婦としての共同生活を営む気持ちは完全に喪失したと考えているのに対し、被控訴人は、控訴人と離婚する気持ちは全くなく、控訴人が帰ってくるのをいつまでも侍っているとはいうものの、控訴人との共同生活を回復するために、宗教活動を止めるとか自粛する気持ちは毛頭なく、控訴人が「○○」を嫌悪するのは、同人がその教義を正しく理解しておらず、かつ、アルコール依存症により精神状態が不安定になっているためであると考えるなど、控訴人の考え方とは全く相容れない正反対の考え方をしているから、今後、双方が相手のために自分の考え方や立場を譲り、夫婦としての共同生活を回復する余地は全くないものといわざるを得ない。
したがって、控訴人と被控訴人との婚姻関係は、既に完全に破綻しているものと認めるべきである。
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